“日本
テレビ業界「ネットで収益下がった。ネットは諸悪の根源!」
音楽業界 「ネットで収益下がった。ネットは諸悪の根源!」
出版業界 「ネットで収益下がった。ネットは諸悪の根源!」
海外
テレビ業界「ネットで番宣・番組を公開。ネットはチャンス!」
音楽業界 「ネットで音楽公開。ネットじゃ味わえないイベントで収益!」
出版業界 「電子書籍を公開。場所取らずで一気買いする人も!」”
東京エスノ : 【音楽/ネット】レコード会社31社が「TUBEFIRE」を提訴 YouTube動画ダウンロード支援サイト - ライブドアブログ (via isobengal)
2011-12-27
(via rosarosa-over100notes)
出典 isobengal
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スタン・ハンセンの“不沈艦伝説”インタビュー「プロレスこそが最も過酷なスポーツだ!」
[2012年01月19日]
プロレスがもっとも熱かった時代、外国人レスラーの代表格といえばハンセン。田園コロシアムのアンドレ戦について語ってくれたぞ!
”1980~90年代、新日本プロレス、全日本プロレスの2大リングで、伝家の宝刀「ウエスタン・ラリアット」を武器に何度も頂点に立った外国人レスラー、スタン・ハンセン。日本人にもっとも愛された外国人レスラーであるハンセンが、2000年に引退を決めた衝撃の真相とは、そしてプロレスラーの誇りとは、“不沈艦”伝説が今、甦る!
***
―ハンセンさんの必殺技といえばウエスタン・ラリアット。1976年、ニューヨークにおけるブルーノ・サンマルチノ戦で初公開しましたが、この技名の由来は?
「オレはテキサス生まれでカウボーイのキャラクターだったから、ラリアット(投げ縄)が一番いいと思って自分で命名したんだよ」
―アメリカでは一般的に「クローズライン」と呼ばれてますよね。
「クローズラインというのは、物干し竿という意味なんだ。アメリカの家庭によくある光景で、裏庭で子供たちが走り回って物干し竿に首を引っかけて倒れる、それがこの技の語源だよ。でも、プロレスより先にアメリカン・フットボールで使われていたんだ。相手のパスを防ぐために首に腕を引っかけて倒す。今では反則技なんだけどね。その動きをオレがプロレスに導入したってわけさ」
―なるほど~。ハンセンさんのラリアットは、年を重ねるごとに一撃必殺になっていきましたね。
「そうだね。全日本プロレス時代には、最後の一発という意識をより強く持っていたから、鋭くなっていったのは間違いないね。今では一日の大会で20回以上見られる技だけどね(笑)」
―新日本時代の自身のベストバウトを3つ挙げるとしたら?
「う~ん。猪木を倒したNWF戦(80年2月8日)、田園コロシアムのアンドレ・ザ・ジャイアント戦(81年9月23日)、あとはハルク・ホーガンと組んだMSGタッグリーグ戦かな」
―ヒールの意識が強かったと思いますが、あのアンドレ戦では観客の声援をみても完全にベビーフェイス扱い。葛藤(かっとう)はありました?
「あの試合に関してはそうみえたかもしれないが、ベビーとかヒールの意識を持って試合をしたことは一度もないよ。自分はスタン・ハンセンでしかない」
―でも、アメリカではベビーとヒールの区分は強いですよね。狂信的なファンが刃物で襲いかかってきたことも?
「昔は、リング上で起きていることがすべて真実だと思って見ているファンも多かったからね。自分が応援している選手を守るためにリングに飛び込んでくる人もたくさんいたよ」
―そういったファンから身を守るためにブルロープを振り回していたとか?
「そういう目的じゃないよ(笑)。あれはあくまでもカウボーイ・キャラのプロモーションであって。ただ、オレはものすごい近視でね、結果的にはずいぶんファンをロープでぶん殴ってしまったな(笑)。ホントに何も見えなかったから、リングがぼんやりと照らされていて、その光に向かってロープを振り回して向かっていっただけなんだけど(笑)」
―リング上で味方と敵の区別はついたんですか?
「どこにいるかはわかるし、輪郭で判断はついた。でも、痛がってるとか苦しんでるとか、相手の表情までは見えないから、お構いなしに攻めたね(笑)」
―引退を決意したのはいつですか? 理由は?
「あれは2000年の全日本の秋のシリーズだった。来日前は、まったく引退なんて考えてなかったんだ。シリーズ終盤戦で、天龍(源一郎)のパワーボムを食らって失神して、下半身の神経が麻痺(まひ)して動けなくなってしまった。スティーブ・ウイリアムスに抱えられて控室に戻されて……あんなことは初めてだったし、そこまで肉体が弱っていたなんて想像もしていなかった。そのときに『やめよう』と思ったんだ。神様がもうやめろと言っているんだとね。何試合か欠場した後、最終戦の武道館でタッグマッチをやって、そこでスパッとやめたよ」
―やめたのはご家族のため?
「いや、プロレスラー、スタン・ハンセンのためだよ。以前から自分で納得のいく試合ができなくなったらやめようとは思っていたんだ」
―ハンセンさんのライバルたち、アンドレ、ジャンボ鶴田、三沢光晴……若くして亡くなったレスラーも多いですね。
「キックボクシングやほかの格闘技の選手は、こんなに早く死ぬかい? リングの上で死んだ人がどれくらいいる? プロレスほど多くはないだろう。ほかの格闘技を批判しているわけじゃないよ。プロレスは『フェイク』という言葉でよくバカにされることがあるけど、フェイクだったら、なぜ三沢やゲーリー・オブライトはリング上で死んだんだ? プロレスは最も過酷で厳しい、肉体管理の難しいスポーツなんだ。オレ自身、両肩、両膝、背骨に人工関節が入っている。闘いの代償さ。だから、これほど肉体を酷使するスポーツはほかにはないと自信を持って言えるよ」
―試合数も多いですしね。
「量が違うんだ。年間300試合もザラという時代もあった」
―今はどんな日常を送られているんですか?
「いわゆるリタイアメントライフだよ。ふたりの子供が野球をやっていてね、なるべく彼らのプレーを観に行くようにしている。あとは健康のために歩いたり、有酸素運動を週に5、6回」
―ところで、日本では女のコを積極的にデートに誘いもせずに、気がつけば30代で童貞という男が増えているんですよ。
「30代でチェリーボーイだって!? 昔は恥じらいというものが日本人の美徳であったと思うが、そんなレベルじゃないわけだな……。これはアメリカも同じだけど、インターネットやフェイスブックばかりで、肌と肌のコンタクトを避けるようになってきた。健康的じゃないよね。人生は短いんだから、好きな女のコには積極的にアタックするべきだよ。オレなんて、女のコからのアプローチをずいぶん断ってきたもんだ……ジョークだよ(笑)。若い人たちは、『プレイボーイ』を読んで、DVDでオレの試合を観てアグレッシブに生きてほしいね!」
(取材・文/中込勇気、撮影/ヤナガワゴーッ!)
■スタン・ハンセン
1949年生まれ、テキサス州出身。77年、新日本に初参戦し、アントニオ猪木らと多くの名勝負を繰り広げた。81年12月に全日本に移籍、2000年の引退まで日本における外国人エースとしてファンに愛された。奥さまは日本人である。








